2004年8月6日(金曜日)
自分の心を強くしたければ‥‥
出来るだけ役に立たないようなくだらないことを、何があっても毎日決まった時に続けることだ。
この不毛で非効率で役に立たない行為を継続することでそれが心の力となって、人の心を強くするのである。
以上は俺の持論だ。
ちなみに俺の場合は「筋トレ」がこれに当てはまるようで‥‥
俺にとっての筋トレは体を強くすることではなく心を強くするための修練なのである。
と、この様にセコいながらも一応修練を積んでいる俺でさえ今日はちょっと参りかけた。
何に参りかけたかといえばそれは‥‥暑さだ。
明日明後日と土日の休日を返上して行われる「社内大異動」の準備のため、室内温度が40℃を越えるエアコンも入っていない部屋で机や椅子など物品の移動作業を行った俺は、慣れない肉体労働と体温を超える暑さのため汗をかきすぎてしまい「プチ熱中症」になりかけたようだ。
最初はまだ大量に汗をかく程度だったからよかったのだが、作業を始めて小一時間も経つと急に汗が止まり、どうにも体温調節が上手くいかないような感じになってしまった。
それでもパンツまで汗だくになりながら黙々と机や椅子の移動作業をやっていたのだが遂に‥‥
眩暈がしてきて頭痛までもが俺を襲ってきやがった。
最初は、ここ数日睡眠時間が少ないためそのせいでフラフラするのだろうくらいにしか思っていたのだが、時間が経つにつれそれだけではちょっと説明がつかないくらい気分が悪くなりかけてしまったので、ひとまず大事を取って休憩し何とか回復したのだが、もしかしてこれが今流行の「熱中症」だったのではないだろうか。
職場の中でも流行に敏感な俺は、一緒に作業をしていた後輩よりも先にこの熱中症にやられてしまったようなのである。
これは何とも情けない話なのだが。
それにしても。
毎週のように出掛けている海では、行くたびに炎天下の真夏の日差しに一日中晒されているのに気分が悪くなることは皆無なのに、どうして室内でたかが2〜3時間程度のあいだ物を運ぶ作業をやっただけで気分が悪くなったのだろうか?
体に負荷をかける条件としては「真夏の海」のほうが遙かに過酷な気がするのだけれど。
やっぱりこれは、やりたくもない作業を嫌々ながらやっているため体が「拒絶反応」を起こしたのだろう。
何しろ俺の体はワガママだからな。
ワガママなので時々いうことを聞かなくなってしまうのだ。
特に下半身が‥‥
2004年8月5日(木曜日)
昨日一昨日と続いた会議地獄に業を煮やした俺は遂に強行手段に出た。
今日の夕方、俺は暴れん坊で有名な後輩と一緒に会議室をぶっ壊してやったのだ!
会議室がなくなってしまったとあってはこれでもう会議は開けまい。
ざまぁみやがれである。
と、言っても‥‥
テロ行為的な「破壊活動」を行ったわけではなく、会議室を作るために仕切ってある「簡易パーテーション」をすっかり取り払ったうえで、そこに置いてあった机や椅子もキレイさっぱりと片付けただけなのだが。
なので、簡易パーテーションで仕切を作り直し、再度椅子と机を並べてしまえばまた会議室は復活するのだけれども‥‥
このクソ暑い最中、誰がそのような面倒臭いことをやるのだろうか?
たぶん暫くの間は誰も手を付けないだろう。
これでひとまず会議室が消滅したことには変わりないので、今日の俺は会議から解放されたというわけである。
ざまぁみろ。
と‥‥
無駄な体力を使って意気込んでみたところで、今日はもとから会議を開く予定は無かったかもしれないのだが。
まあどちらにしても「会議がない」というのは俺にとってはとてもいいことなので、しばらくの間会議室が復活しないことを祈るばかりである。
まあひとまずこれで会議については一段落したのでいいとしても‥‥
まだまだ俺には難題奇題大問題が山積みとなっていて、この様々な問題はそう簡単には解決しそうにない。
考えただけでもゲロを吐きそうなくらいうんざりしてしまう。
だけど、多少の問題を抱えていたってそれは時間経過と共に一つ一つが解決してゆき、いずれいい風が吹いてくるはずなので、とりあえずは堪え忍んでおけば時間が解決してくれるだろう。
但し、時間が解決してくれるのはいいとしてもここで一つだけ問題となることがあるのだが‥‥それは何かといえば、こういうことだ。
「時間の経過と共に悩みや不安は解消されるけれど、その代償として時間は俺から若さを少しずつ奪ってゆく」のである。
つまり、問題や悩みや不安は時間の経過と共に解消してゆくかもしれないが、それと共に自分は少しずつ歳を重ねているはずで、問題が解決したり悩みや不安が解消した時にはそれにかかった時間分、時間軸上の俺は今この時点のよりも先に進んでいて今よりも歳を取ってしまっているということになる。
これを考えると、無為に時間の経過だけに頼るというのもその代償として浪費するものが多すぎる様な気がするのだ。
特に俺のように38歳にもなってしまい「中年」と呼ばれる年齢の者にとっては。
そうなってくると無駄に受け身の姿勢だけで状況が好転するのを待っていてもダメなんじゃないかと思い始めてきて‥‥
それを思うといろんな事がますます面倒臭くなってくるのは当然だろう。
どうも最近はこのような「哲学的な思考」が俺の頭の中を支配しているようで、往々にして俺はこの様なくだらないうえに答えの出ない自問自答を繰り返している。
そこで思うのだが。
今の俺の不調の原因ってたぶん‥‥
この「哲学的思考」に起因しているのは間違いないな。
この調子じゃどうやら俺は哲学者にはなれないようだ。
といいながらも俺は、このような「不毛の思考」は結構好きなんだけれどね。
2004年8月4日(水曜日)
今日も長い会議。
それだけならまだ何とか我慢できる、いや我慢といってもギリギリの辛抱程度だが‥‥
しかし。
朝入稿の仕事をこなすために「早朝5時半起き」で会社へ向かっている今週の俺はもう我慢の限界。
どうして早朝7時から働いて夜の9時〜10時までにも及ぶ会議に出席しなければならない?
会議終了後に雑務を片付けて帰宅した時にはもう10時〜11時、下手すりゃ日付が変わっている。
しかもそれが昨日今日と二日間連続で‥‥
もちろん明日も早朝5時起き。
それに加えて今日はこれから会社では出来ないというかやる時間がない書類仕事の「宿題」も山積みになってしまっているので、その処理も行わなければならない。
やってられないよ、マジで。
30歳を過ぎてからこっち、睡眠時間が足りていないともの凄く不機嫌度が上昇するようになってしまった俺は、今の自分を客観的に見ても絶対に「嫌な奴」だと思ってしまう。
こうなったらもう‥‥
あとは酒でも飲むしかないではないか。
酒でも飲みながら仕事をやらないことには、今の俺は正気を保てそうにもない。
「ストレスは人生のスパイスである」などという言葉を耳にしたことがあるが、そんな言葉は本当のストレスを感じたことがない脳天気などこかのバカが言った言葉なんだろう。
何がスパイスだ。
今の俺はそのスパイスが効きすぎて「お腹を下してしまった状態」だよ。
おかげで白髪がまた増えてしまっているようで‥‥
この間海へ行ったあと、海パンで「たまきん」の裏が擦れてヒリヒリしていたのでちょっと確認してみると何と!
シモの毛にまでも白髪が混じっていたではないか。
それを見た途端‥‥
「もうだめだ俺」って本気で思ったね。
まったく最近はロクでもないことばかりで、この状況から早く抜け出さないことには俺はじきに「頭がおかしくなってしまう」かもしれない。
だけど今のところは‥‥
打つ手なし。
‥‥だめだこりゃ。
2004年8月3日(火曜日)
会議が長すぎる。
さすがに5時間も会議が続くと、しかもそれが先行きを考えると暗い話に終始してしまうとなると‥‥
椅子にケツが貼り付いてしまうのではないかという不安はいつもの事ながら、最近はうんざりを通り越して、何だか恐ろしくなってきた。
この不毛な時間は一体何のためにあるのか?
これを考え始めるとますます恐怖はつのるばかりだ。
もしかしてこれは俺達にこの会社の恐ろしさを植え付けて、会社に対する反抗心を根こそぎ刈り取ってしまうという「一種の拷問」ではないかと思い始めてきた。
「言うことを聞かないと死ぬまで会議を続けるぞ」と暗に脅迫されているような気がしてきたのだ。
そんな会議が明日の夜もあるらしく‥‥
明日だけではなく明後日も明々後日もありそうで‥‥
どうやら今週から来週にかけては「会議漬け」の日々になってしまいそうな勢いだ。
これじゃあもう‥‥ダメだよ俺は。
なので‥‥
この会議地獄が一段落するまでは、この「日刊マウスパンチョ」の更新も出来ない日があるかもしれません。
極力毎日更新で頑張ってはみますが、もしもの時は身逃してやって下さい。
ってなんでこんな心配まで俺がしなくちゃいけないんだ?
くっそー、ますます腹が立ってきたよ。
2004年8月2日(月曜日)
台風一過の高いうねりが残った海は怖い。
自分が犠牲になったわけではないが、昨日はこの恐怖を間近に感じ‥‥
海難事故救出の大変さを目の当たりにした。
昨日更新の Skim Crazy にも書いたのだが、台風が過ぎ去った海へスキムボードに乗りに行った俺を待ち受けていたのは海難事故の救出現場だった。
台風がまだ過ぎ去ってもいない昨日の午前中に、俺がいつも言っているビーチで海水浴をやっていた人が高波に飲まれ沖へ流されて‥‥
行方不明になってしまったため、午後2時くらいに俺がビーチへ着いた時にはその行方不明者の捜索活動の真っ最中だったのだ。
この光景を目の当たりにした俺はちょっと驚いた。
いや、驚いたというより海難救助の大変さというか厳しさに身が縮まる感じがしたのだ。
3〜4メートルはあろうかといううねりの影響で荒れ狂った海上を、小さなボートで捜索している海上保安庁の隊員は今にもボートから投げ出されそうだった。
上空から捜索活動を行っているヘリコプターも、まだまだ収まっていない台風の吹き返しから起こった強風をついて海面に出来るだけ近づこうと低空でホバリングしながら哨戒を行っている。
ここで突風が吹こうものなら、あっと今にヘリは海面に叩き付けられてもおかしくない高度だ。
ビーチで待機していたダイバー達も、消防署の救急隊員達も一様に険しい表情で‥‥
この状況ではおそらく自分達の出番はないだろうと薄々感じてはいたのだろうが、それでも緊張を緩めずにひたすら海上での捜索活動を見守っていた。
この「たった一人の命」を救うために繰り広げられている大捜索活動を見ていると、俺は改めて人命の大切さを思い知らされた。
「自分が死のうが生きようが、自分の命なのでどう使おうと俺の勝手だ」などという言葉をたまに耳にするが、たった一人の人の命を救うためにこれだけ大勢の人達が我が身の危険も顧みず必死の救出活動を行っている光景を間近で見てしまうと‥‥
俺は死んでもこの様な言葉を口にすることは出来ない。
自分は死んでもいいのだろうが、そのせいで自分とは全く関係ない人までも危険な目に晒してしまい最悪の場合はその人達の命までも奪ってしまう。
「思慮が足りない無謀な行動」というのは自分が死んだり怪我をしたりするだけでなく、往々にして他人までも巻き込んでしまうというとてつもない「迷惑行為」であるということを、昨日の救出活動を見ていて痛感させられた気がする。
荒れ狂った海でもその中で泳ぐことは、本人達からすれば「英雄気取り」なのだろうが、この様な結果を生み出すのが関の山だ。
特に、荒れていなくても流されて遭難しやすい「離岸流」が強烈なこのビーチの恐ろしさを解っていなかったなら尚更だ。
そして、自分達がいつも遊んでいる海岸で、無謀な行為が原因で人が行方不明になってしまったり亡くなってしまったりしたとあっては‥‥
いつも清掃活動を行ったりしてこのビーチに愛着を感じている俺達から見れば、とても悲しい限りである。
あのビーチで今回のような悲しい事故が起きないことを切に祈るばかりである。
でもあの日の海は‥‥
俺達スキマーにとっては絶好のいい波が立っていて、俺としては救助作業中であろうが何であろうが入りたくて仕方がなかったのだけれども。
でもあの状況の中、海パン一枚でスキムの板を小脇に抱えビーチへ降りていくのは‥‥
ケーサツや消防隊員に思いっきり怒られるか、尻を蹴飛ばされてつまみ出されるかが関の山だったので、小心者の俺にはとても無理だった。
それはともかく。
海というところは本当に危険な場所なので、海で遊ぶ時は「安全第一」を念頭に置いて決して事故などないよう十分注意して楽しみたいものである。

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